■サービスについて考えさせられる面白い意見を紹介したい。
ある識者が言っていた。「日本は過剰サービスが横行している社会」なのだと。例えばスーパーのレジ打ちとは別に袋詰めをしてくれる店員がいるスーパーがあり、それはいかにも手厚いサービスのようだが、そのことが商品価格を押し上げているという。
「もし袋詰めサービスを提供するならそれを客に選ばせるべきで、デパートの包装サービスなども同様で希望者には有料で応じればいい」
どきりとする指摘である。識者は「脱・過剰サービス社会」を提言しているのだ。
そのメリットとして、まずコストの低減があり、さらに「手厚いサービスには追加的な出費が必用で、それを誰もが了解すれば、そこには高付加価値型のサービス企業が今よりも成り立ちやすくなる」という。つまりサービス産業の生産性アップにつながると言うのだ。
これが逆に、「サービスは無料、過剰が当然」のままなら、日本はサービス業がもうかりにくい社会であり続け、収益力の高い企業は育ちにくいと指摘する。
■過剰サービスはなにも企業だけではなく行政のコストも膨らませている。例えば工事中の大きな看板があるのに交通整理の係員がいる交通路。確かに係員がいれば事故の危険率は減るかもしれない。そうした手厚いサービスや気配りがある日本社会は住み心地がよいかもしれない。でも世界の標準は違う、と言い切る。係員がいなくてケガをしてもそれは自己責任なのだと。
そして、過剰サービスは日本人を〝ひ弱〟にしていると指摘する。ビジネスの場、特に国際的な交渉などの場では「相手への配慮や気配りを期待すると不利を招く」とのことで、「普段から自分の頭で考え、リスクや費用対効果を判断する習慣」を身につけなさいと。
識者は言う。「あらゆるサービスは本来、有料。手厚いサービスを続けるのなら、コストを価格に上乗せするのが普通の社会であり、今のように〈サービスは無料で与えられて当然〉ではない」
■識者の意見は日経新聞紙上に掲載されていたものだ。この意見、「サービスとは何か」を掘り下げて考えさせてくれるひとつのきっかけとなるかもしれない。
ところで識者の言葉に、「それを誰もが了解すれば」という但し書きにも似たフレーズがあった。この「誰もが了解」というのはその実、達成出来そうで出来ず、容易なことではない。一方でこのフレーズは、その先に何か明るいものを見出してくれそうなキーワードに転ずるような気もしてくる。
そしてキーワードにつながりそうなので、最後にこの意見をまとめた日経の記者の発言を紹介しておきたい。「日々利用するサービスの何が必用で、何が不要か。日々の身の回りを冷静に点検すると、生活と社会の隠れたコストが見えてくる。」
その隠れたコストは新たなビジネスの発想につながるかもしれない。そしてその発想こそが「誰もが了解」の前に立ちふさがる壁を次第に取り崩すきっかけになるのかもしれない。
※参考:日経新聞本紙/1月5日号
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